メタルギアのリアリティについては前回お話ししました。
そのリアリティを構成するのは、以外なものだったりしますよね。壊せる酒瓶とか、豊富な無線の会話パターンとか……
いやぁ、メタルギアって深い。
さて、今回は「深い」ということの重要性について考えてみました。
料理や絵画なども、「深い」というのは大切なことですよね。
料理ではダシ、絵画ではタッチや背景といったところでしょうか。それぞれに込められた深みがあるからこそ、ひとつひとつを強調できるというか。
そこでなんですが、逆に浅いというのはどういうことなんでしょう。
実は浅いというのは問題であるということがわかってきました。なぜなら、これらが無いと自分の考えも理解してもらえないのですから。
メタルギアの好きな人の中には、銃が好きな人がいると思います。現に私も好きで、どんな銃が好きかというのはSNSのプロフィールをご覧ください(笑)
そこで、唐突に聞きますが「銃 = 戦争が好きな野蛮人」という式はなりたちませんよね? 現に私は平和主義者のつもりですし、ましてやそんなことを言われて気分がいいわけもありません。
何故こんなことを話すのかというと、私はこんなことを言っている浅はかな思想を持った人が居たからです。
「銃なんてこの世からなくなってしまえばいい、銃があるから戦争なんてあるんだ」
教室に居たらそんなことを話している人が居て、少々ムカっときました。
そこでなんですが、不思議とこの発言に支持する人が居るというのもおかしな話なんです。
「銃があるから戦争が起こる」
これは完全に迷言ですよね。
あくまで逃げです。銃は自分で銃口を人に向けて発砲することはありません。あくまで引き金を引くのは人ですよね。
それに、銃が無くなったとしても昔は剣や棒で戦っていたのです。銃が無くなれば争いが無くなるというのは、なんとも浅はかな考えではないでしょうか。
ちょっとカッコイイ言い方をすれば、こんなことよりも我々が考えるべきなのは
すぐに隣の人と手をつなげるようになること
なんだと思います。
銃がある、無い以前よりも争いを止めること。これが今、最も人に必要なことなんではないでしょうか。
そして、銃というものが無ければ「巨大な力を持った間違った思想」をどうやって止めろというのでしょうか。話合いというのもスマートなようですが、もしも何も持たずにテロリストが立てこもるビルに交渉しに行けというのにイエスと言えるでしょうか。私は御免ですね。せめて、グロックの一丁かSWATの保険をつけたいものです。
これで、躊躇無くイエスと言えるのであればこれ以上は何も言いませんが。
銃という圧倒的すぎるイメージ。それのせいで、彼は根本的なことを忘れているのです。
浅いというのは何よりも危険ですね。
自分の身を守り、そして傷つけることを最小限に抑える。ヒトを生かすも殺すも、それはすべてヒトの意志であるわけで。銃という一種の力をカッコイイと思う人を、勝手に「戦争好き」と関連付けることこそ、銃となんら変わらない戦争の引き金ともなった、人を勝手に分類する「差別」というものなんでないでしょうか。人の好き嫌いによる。いらないカテゴライズ。
けれど、この世の中には表面しか見えないものばかりですよね。
より深く潜るにはそれなりの、時間や感性が必要なようです。
私は窓から街を見下ろします。もし、人々の心が通じあえるなら、ここはとても住み心地がよくなるだろう。
と、そんな理想をコーヒーの香りと一緒に漂わせる、今日の黄昏、リビングにて。
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MGL STAFF:Baby_Fox]
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